坊守日々のお味わい

三重県四日市市にある、真宗高田派立法寺の坊守(嫁)が毎日の授かった出来事について認めております

一隅におるのは私

 

今月より、法語を掲示させていただく事となり、お世話になっておる書道教室の先生にご指導賜り、ポスターを作成させて頂きました

 

Twitter記事でほぼほぼ書いておるのですが、私今文章を書きながら気になったのが

 

「一隅」

 

という言葉です。

 

一隅=片隅

 

というふうに私は味あわさせて頂きました

 

片隅にいる私すらももらさず照らして下さる阿弥陀

 

その光は全てを照らす‥と

 

でも、一隅と川瀬先生はゆうて下さりますが、何ともならんこのワタクシ‥

 

自分が片隅にいるなんてツユほどもおもっておりません‥

 

なんなら、世界の中心は私!周りのみんなが私の片隅にある人たちで、私こそがど真ん中にある人間や!と思って疑いすらしておらんのです‥

 

「片隅を照らしてくれる阿弥陀さん、なんて有難いんだろう」

 

もうね、どの口がいっとるの!?

とツッコまずにはおれんです

ようゆうたな、お前!ですわ‥

 

そんな勘違いした私を

 

お前の中では世界の中心はお前やとしても、他の人にとって世界はお前中心に回っておるわけじゃない

 

と強烈な右ストレートを下す阿弥陀さん‥

 

痛たたたた‥

 

そうだそうだ、私が世界の中心じゃなかったわ‥

そうやって気がついても、私が世界の中心だ!といつのまにか勘違いをする傲慢な私の心

 

この法語は、お前は片隅やぞ

 

と教えてくださっておる法語のようにも私は頂いております

 

あー、阿弥陀さん、痛いわー‥f:id:ryuhoji903:20210205205130j:image
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