ちょるちょるやっちょるおどっちょる
住職が方言の話をしてると
— 真宗高田派 海松山 立法寺 (@ryuhoji903) 2021年2月18日
はあ!はあ!!
と気合を入れ始めた
‥何ゆうとるん!?と聞くと
え?
山口弁は最初に「はあ」をつけるんでしょ?
と、はあッ!はあッ!!
連呼する
‥自分の常識は人にとっての非常識だと改めて知る‥
‥「はあ」は「もう」です!!#なもったー pic.twitter.com/DZVRUpiWGj
前(さき)に生まれんものは後(のち)を導き、後に生まれ者(ひと)は前を訪(とぶら)え、
連続無窮(れんぞくむぐう)にして、願わくは休止(くし)せざらしめんと欲す。*1
所変われば、色々な違いがあります
季節の行事もそう、お祭りやお参りの仕方も、地域によって大きく変わってきます。
そんな地域に伝わる昔からの習わしを代々受け継ぐとは、どれだけ大変なことか!と、想像しますが、そんな地域の昔からの習わしが大好きな坊守です。
さて、地域によって違うもの
それが顕著に現れるものの一つ
『方言』
初めて実家を出て、東海地方に来たとき、名古屋弁が分からずオロオロしたのは早20年前も前のことになります。
自分にとっては、いつもそばにあり、当たり前になっている方言ですが、ひとたび外に飛び出すと、当たり前は一気に姿を変えます。
高い所のものを取って欲しくて、たわんのやけど取って!とお願いしても伝わらず、机をつって欲しいとお願いされ、何言っとるか分からん!!!と住職と喧嘩した事は・・・数えてもキリがありませんな
私がいつも、
『当たり前』
と思いながら過ごしていた当たり前は、なんと有難いことであったのか
私が思う常識は、誰かにとっての非常識
私の今があるのは、あの故郷と先人たちがいてくださったお蔭様
あー、懐かしきかな、山口弁!!
と言っても、電話で話すと、一気に山口弁
自分の故郷のことは中々抜けませんね。
*1:親鸞聖人『顕浄土真実教行証文類 化身土文類第六』より